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「顔を撫でると、目も鼻も口もない」――そんな怪談を、子どものころに聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。小泉八雲の『むじな(貉)』は、まさにそのお話です。ドラマなどをきっかけに小泉八雲の作品が気になって、短い作品から読んでみたいと思っている方にもぴったりの一編です。
この記事では、青空文庫で公開されている戸川明三訳『貉』をもとに、物語のあらすじと、短い怪談を読み解く3つの読みどころをご紹介します。読み終えたあとに、もう一度読み返したくなるポイントも整理しました。
※この記事は物語の結末まで触れています。まだ読んでいない方は、先に作品を読んでからご覧いただくのもおすすめです。青空文庫の『貉』は、数分で読める短さです。
小泉八雲『むじな』はどんな作品?
『怪談(Kwaidan)』に収められた一編
『むじな(MUJINA)』は、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が1904年に刊行した『Kwaidan: Stories and Studies of Strange Things』に収められた作品です。原文は英語で書かれていて、日本語では翻訳で読まれています。
青空文庫では、戸川明三による翻訳が公開されています。底本は「小泉八雲全集第八卷家庭版」(第一書房、1937年)と記されています。
題名の「むじな」とは
題名の「むじな(貉)」は動物の呼び名です。物語の中では、紀国坂という寂しい坂道を夜に通る人が、遠回りをしてまでこの坂を避けたのは「皆、その辺をよく歩いた貉のためである」と語られています。
つまり、お話に出てくる不思議な女や蕎麦屋は、どちらも貉が化けたもの、と読むことができます。ただし、作中ではっきり「貉が化けた」と説明する場面はなく、読者に想像させる書き方になっているのも面白いところです。
『むじな』のあらすじ
舞台は赤坂の紀国坂
物語は、東京の赤坂への道にある「紀国坂」という坂道の説明から始まります。戸川明三訳では、坂の一方の側には昔からの深くて広い濠があり、高い緑の堤がそびえ、道の他の側には皇居の長い塀が続いている、と書かれています。
街灯や人力車の時代より前は、夜になるとこのあたりはとても寂しく、おそく通る人は、日が暮れたあとにひとりでこの坂を登るより、何マイルも回り道をしたほどだった、と語られます。
濠の縁で泣く女
貉を見た最後の人は、約三十年前に亡くなった京橋方面の年をとった商人でした。その商人が語った話として、物語は進みます。
ある晩おそく、商人が紀国坂を急いで登っていくと、濠の縁にひとりでしゃがみ、ひどく泣いている女を見つけます。身を投げるのではないかと心配した商人は、足を止めて声をかけます。女は華奢で上品な人らしく、服装もきれいで、髪は良家の若い娘のように結っていました。
商人は何度もやさしく声をかけますが、女は袖で顔を隠したまま泣き続けます。商人が女の肩に手を置いて呼びかけると、女はこちらを向き、袖を下ろして、手で自分の顔を撫でました。見ると、その顔には目も鼻も口もなかったのです。
逃げた先の蕎麦屋で
商人は悲鳴をあげて逃げ出し、紀国坂を一目散にかけ登ります。振り返る勇気もなく走り続けた末に、ようやく遠くに蛍火のように光る提灯を見つけます。それは、道ばたに屋台を下ろしていた売り歩く蕎麦屋の提灯でした。
商人は蕎麦屋の足もとに倒れ込みますが、恐ろしさのあまり、見たものをうまく説明できません。すると蕎麦屋は「その見せたものはこんなものだったか?」と言いながら自分の顔を撫でます。その顔は卵のようになり、同時に灯火は消えてしまった――というところで、物語は終わります。
『むじな』を読み解く3つの読みどころ
1. 親切な商人だからこそ怖さが増す
戸川明三訳では、商人は自分の力に及ぶだけの助力や慰めを与えようとした、と書かれています。さらに、「実際、男は自分の云った通りの事をする積りであった。何となれば、この人は非常に深切な人であったから。」と、わざわざ括弧書きで商人の人柄が説明されています。
泣いている女を見過ごせず、何度も「お女中」と声をかける商人。その親切な気持ちが、そのまま恐ろしい出来事につながってしまいます。悪いことをした人が罰を受ける話ではなく、善意の人が怖い目にあう話だからこそ、読んだあとにぞっとする余韻が残るのかもしれません。
2. 「どんな明かりでも」すがりたくなる心
逃げる商人の前は「すべて真暗で何もない空虚」だったと書かれています。そこで見つけた提灯について、訳文では「しかしどんな明かりでも、どんな人間の仲間でも、以上のような事に遇った後には、結構であった」と語られます。
暗闇の中でやっと見つけた明かりと、人のぬくもり。読者も商人と一緒に、ほっと胸をなでおろす場面です。その安心があるからこそ、次の一言がいっそう恐ろしく感じられます。明るい場所や人のそばに逃げ込みたいという気持ちは、時代が変わっても共感しやすいものですね。遠くの提灯を「蛍火の光っているように見える」とたとえた表現も、暗闇の深さと明かりの小ささを感じさせてくれます。
3. 二度目の「顔」と、消える灯火で終わる結末
蕎麦屋は、商人の話を「すげなく」聞き、「盗賊にか?」と問いかけます。そして最後に「その見せたものはこんなものだったか?」と言って顔を撫でると、その顔は卵のようになり、同時に灯火が消えます。
物語は、そのあと商人がどうなったかを語らずに終わります。灯火が消えたことで、商人は再び真っ暗な中に取り残されたことになります。最初の顔だけでも怖いのに、助けを求めた相手が同じだったという二段構えの展開と、説明をしない結末が、この短い作品の怖さを形づくっています。
なお、目も鼻も口もない顔の化け物は「のっぺらぼう」と呼ばれることがありますが、戸川明三訳の本文には「のっぺらぼう」という言葉は出てきません。「目も鼻も口もない」「卵のようになった」という描写だけで、その姿が伝えられています。
もう一度読み返したくなるポイント
一度結末を知ってから読み返すと、最初は気づかなかった点が見えてきます。
冒頭の「語り手」の位置
物語は、紀国坂の説明から始まり、「貉を見た最後の人」である商人の話として語られます。つまり、読者は「昔、こういう話を語った人がいた」という形で物語を聞いていることになります。商人が無事に帰ってきて、この話を語ったことも、ここからわかりますね。
蕎麦屋の口調の変化
蕎麦屋は最初、「これ! これ!」「これ、どうしたんだ? 誰れかにやられたのか?」と荒々しく声をかけます。そのあと「ただおどかされたのか?」「盗賊にか?」と、すげなく問いかけます。結末を知ってから読むと、この落ち着いた受け答えが、少し違って見えてきます。
女の顔が見えない時間の長さ
女は、商人に声をかけられてもずっと袖で顔を隠し、立ち上がってからも商人に背中を向けたまま、袖のうしろで呻き咽び続けます。商人は「お女中!――お女中!」と何度も呼びかけ、そのたびに読者の緊張も高まっていきます。顔が見えない時間が長く描かれているからこそ、袖を下ろして顔を撫でる瞬間の衝撃が大きくなっています。
作者・小泉八雲と『怪談』
日本の物語を英語で書いた作家
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、1850年にギリシャのレフカダ島で生まれ、1890年に来日しました。島根県の松江で英語教師として暮らし、のちに小泉セツと結婚しています。1896年に日本に帰化して「小泉八雲」と名乗り、1904年に亡くなりました。『Kwaidan』が刊行されたのは、亡くなった年と同じ1904年です。
『怪談』に収められた作品の多くは、日本に伝わる古い話をもとに、八雲が英語で書き直したものとして知られています。日本の物語が、いったん英語の作品になり、それがまた日本語に翻訳されて読まれている、というのも不思議な縁ですね。
『むじな』の短さが生む読みやすさ
『むじな』は、『怪談』の中でも特に短い作品のひとつです。登場人物は商人、女、蕎麦屋の3人だけで、場面も紀国坂と蕎麦屋の屋台の2か所しかありません。それでも、坂の寂しさ、女の泣き声、暗闇の中の提灯、消える灯火と、場面ごとの情景がくっきりと浮かんできます。
小泉八雲の作品を初めて読む方は、まず『むじな』のような短い作品で八雲の語り口に慣れてから、『耳なし芳一の話』のような少し長い作品に進むのもよいかもしれません。
紀国坂という名前について
戸川明三訳の冒頭では、紀国坂は「紀伊の国の坂という意である」と説明されたあと、「何故それが紀伊の国の坂と呼ばれているのか、それは私の知らない事である」と書かれています。作者自身が「知らない」と書いているのも、物語の入り口として印象的です。実在する地名を舞台にしながら、少しずつ不思議な世界へ読者を連れていく書き出しになっています。
小泉八雲『むじな』でよくある質問
『むじな』はどこで読める?
青空文庫で、戸川明三訳『貉』が公開されています。英語の原文は、ウィキソースなどで読むことができます。書籍では、小泉八雲の『怪談』を収めた文庫本などで読むことができます。
どのくらいの長さの作品?
青空文庫の『貉』は、数分で読み終えられる短い作品です。小泉八雲の作品を初めて読む方にも手に取りやすい長さです。
子どもと一緒に読んでも大丈夫?
『むじな』には、血が流れるような残酷な場面は出てきません。怖さの中心は、目も鼻も口もない顔と、消える灯火です。ただし、怖い話が苦手かどうかは子どもによって違うので、様子を見ながら読んであげてください。読んだあとに「商人はこのあとどうしたと思う?」と話してみると、想像がふくらんで楽しいですよ。
感想を書くときは、どこに注目するといい?
感想を書くときは、「どの場面がいちばん怖かったか」と「なぜ怖いと感じたか」を分けて考えてみるのがおすすめです。たとえば、女の顔の場面と蕎麦屋の場面を比べて、どちらが怖かったかを考えてみると、自分なりの読み方が見えてきます。商人の親切さや、灯火が消える結末について、自分の考えを書いてみるのもよいですね。
『怪談』には、ほかにどんな作品がある?
『Kwaidan』には、『むじな』のほかにも、『耳なし芳一の話』や『雪女』など、よく知られた作品が収められています。気に入った方は、ほかの作品もあわせて読んでみてはいかがでしょうか。
英語の原文と翻訳で違いはある?
原文は英語で書かれているため、翻訳者によって言葉の選び方や雰囲気が変わります。この記事では戸川明三訳をもとに紹介しましたが、ほかの翻訳と読み比べてみるのも楽しいですよ。
小泉八雲『むじな』は短いからこそ何度も味わえる
小泉八雲『むじな』について、もう一度まとめておきます。
- 1904年刊行の『Kwaidan』に収められた短い怪談で、青空文庫では戸川明三訳が読める
- 舞台は赤坂の紀国坂。濠の縁で泣く女に声をかけた商人が、目も鼻も口もない顔を見る
- 逃げた先の蕎麦屋も同じ顔を見せ、灯火が消えて物語が終わる
- 親切な商人、明かりにすがる心、説明をしない結末が、怖さと余韻を生んでいる
- 結末を知ってから読み返すと、語りの形や蕎麦屋の口調にも気づける
数分で読める短い作品ですが、読み返すたびに新しい発見があります。夜の静かな時間に、ゆっくりページをめくってみてくださいね。