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小泉八雲の『乳母桜』は、乳母が少女の身代わりになる話。でも、桜を植えたのも、その乳母だったでしょうか。
原文では、植えたのは少女の両親です。乳母は自分では果たせなくなった約束を家族へ頼み、亡くなったあと、両親が桜を植えます。
ここ、結末を読むときに見ておきたいところなんです。
少女が助かったことだけで話を閉じると、残された家族がしたことを読み落としてしまう。短い一話の最後には、乳母の願いを引き継ぐ人たちがいます。
以下、結末まで触れます。Project Gutenbergで公開されている英語原文「UBAZAKURA」をもとに、出来事と、そこからの読みを分けて追ってみよう。ドラマのせりふや場面を引用する記事ではなく、八雲の文章へ進みたい人向けの作品読解です。
喜びの宴の夜に、乳母が病に倒れる
物語の少女はおつゆ、その乳母はおそでです。乳母は、赤ん坊に乳を与え、育てる役割を担う女性のこと。おそでは、おつゆが幼いころからその役を務めてきました。
十五歳になったおつゆが重い病気になると、おそでは西法寺で、仏教の信仰対象である不動明王へ、二十一日間、毎日祈ります。作中では、そのあとおつゆが回復し、父親が友人たちを招いて祝宴を開きます。
ところが、その夜に倒れるのがおそで。家の喜びが描かれたすぐあとで、今度は乳母の死が近づくんです。
同じ病気がうつった、という説明は本文にはありません。おそで自身が家族に、自分をおつゆの身代わりにしてほしいと祈り、その願いが聞き届けられたのだと明かします。あくまで物語の中で、おそでが自分の死をどう受け止めているかとして読む箇所です。
ここまで来てから、おつゆの回復を振り返ってみるとどうでしょう。
家族が喜んでいたとき、まだ知らなかった願いがあった。読者もあとからそれを知るので、同じ祝宴の場面が、最初とは違う重さを持って戻ってきます。
残された願いは、桜を植えることだった
おそでは死を前にして、悲しまないでほしいと家族に伝えます。でも、そこで話を終えません。
不動明王への感謝と記念のため、西法寺の庭に桜を植えると約束していた。自分ではもう植えられないので、代わりにその約束を果たしてほしい、と頼みます。
少女の代わりに死にたいと願うことと、その後に桜を残したいと願うこと。おそでの言葉には、この二つがあるんですね。
原文では、葬儀のあと、おつゆの両親が桜を植えます。少女がお礼に植えた、と読み替えず、誰が行動したかまで確かめたいところです。
両親の気持ちを説明する長い独白はありません。それでも、頼まれたことを実際に行う。その短い行動が残っているので、家族を、ただ悲しんでいた人たちだけとして読まなくて済みます。
ここからは一つの読み方ですが、おそでが生きている間の願いが、死後には家族の仕事になる、と読むことができます。おそでだけの話だったものが、引き受けた両親と、その後の桜の話へ移っていくんです。
最後に残るのは、花が咲く日と乳母の名
植えられた桜は、翌年の二月十六日、おそでの命日に花を咲かせます。原文は、その日に咲くことが二百五十四年続いたと語り、乳母の桜、つまり乳母桜という呼び名で結びます。
これは作中で語られる来歴です。今の桜の開花予想や、現地で同じ日に咲くという案内には置き換えません。
結末で注目したいのは、花が特別な日に咲くことに加えて、その日がおそでの命日だということです。おつゆが助かった喜びと、おそでを失った日が、一本の桜の話に重なっています。
人々が呼ぶ名前にも、少女ではなく乳母が残る。タイトルへ戻って読むと、この短い話が誰を覚えておく話なのかを、もう一度考えられますね。
日本語の本で読みたい場合、池田雅之さん編訳の『怪談 決定版』は候補になります。KADOKAWAの収録目次に「乳母桜」があり、紙の本のISBNは9784044008567です。ISBNは本を区別する番号です。
この記事で読んだのは公開英語原文なので、紹介する邦訳の表現をそのまま評したものではありません。すでに持っている『怪談』に乳母桜が入っていれば、その本を開いてみてもいいね。
読み返すなら、おそでが桜を頼むところから、両親が植えるところへ続けて進んでみてください。
願った人と、植えた人は違う。その間に、亡くなった人の約束を引き受ける家族の行動がある。おつゆが助かったあとにも、読む場所がちゃんと残っている一話です。