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昔、ものすごく怖い目に遭った。
それを、いま目の前にいる妻に話してしまう。
えっ、待って。
その話、誰にも言わない約束だったよね……?
小泉八雲の『雪女』は、最初に置かれた約束が、長い年月の後に家庭の中へ戻ってくる短編。雪の夜の恐怖だけを思い浮かべていると、その後に描かれる時間の長さに目が止まるよ。
しかも最後、約束を破ったら即座に罰、という形だけで終わらない。
そこに眠っている子どもたちがいる。
この存在を飛ばすと、怖さも別れも、すっと単純な話にしてしまう。
連続テレビ小説『ばけばけ』をきっかけに八雲の作品を読みたくなった人へ。NHK出版のドラマ紹介では、小泉セツとラフカディオ・ハーン、つまり小泉八雲をモデルにした物語と説明されている。ドラマの夫婦と、ここで読む短編の登場人物は別だよ。『雪女』をドラマ全体の原作小説として扱うのでもない。
この記事では、青空文庫で公開されている田部隆次訳『雪女』の本文をもとに、場面から読めることと、そこから考えられる解釈を分けて話すね。ここから先は結末まで触れるので、初めての驚きを残したい人は先に短編を読んでから戻ってきてね!
雪の小屋で助かった巳之吉。でも、安心だけは持ち帰れない
舞台は武蔵の国のある村。木こりの茂作と、十八歳の巳之吉が、仕事帰りに大吹雪へ遭う。川の渡し場へ着いたけれど、船は向こう岸にあり、渡し守も帰ってしまっている。
帰りたくても、渡れない。
まず、この「戻る道が閉じた」という状況があるんだ。
二人は渡し守の小屋へ避難する。でも、その小屋には火鉢も火をたく場所もない。外の雪を避けられることと、体を温められることは同じではない。戸を閉めて休む間にも、巳之吉は風や雪、川の音を聞いている。
ここ、雪女が現れる前から落ち着けないよね。
怪しい女が来たから急に怖くなった、という順番だけではない。助かるために入った場所でも、寒さは増していく。逃げ道もないまま、眠りへ入ってしまう。
目覚めた巳之吉は、白い衣服の女を見つける。女は茂作へ息を吹きかけ、今度は巳之吉の方へ近づく。声を出そうとしても出せない。自分から交渉を始められる立場ではなく、女の言葉を受ける側にいるんだ。
その女は巳之吉を害さずに去る。ただし、今夜見たことを誰かに話せば殺すという条件を残す。母親にも話してはいけない、というところまで示される。
助かった!
……でも、安心して誰かに話せるわけではない。
女は、巳之吉が若く、気の毒だとして命を残す。ところが、見たことを話さないという条件は残る。助けられたときの言葉の中に、次の恐怖まで入っているんだ。
命を残された巳之吉には、その夜のことを誰かへ相談できる自由がない。自分が見たものを確かめようにも、話す行為そのものが危険になる。家へ戻ればすべて終わるような怖さではなく、沈黙の条件が一緒についてくる、と読めるよ。
女が去った後、巳之吉は夢だったのかもしれないと考える。一方で、茂作はすでに死んでいる。自分が目撃した女を確実な出来事として整理しきれないのに、老人の死は目の前にある。この二つが並んでいることも大事。
翌朝、巳之吉は介抱され、その後長く病む。回復して仕事へ戻ってからも、女のことは話さない。だから物語には、警告を聞いた直後にうっかり話す人、という形ではない時間が置かれている。彼はまず、沈黙したまま暮らしへ戻っているんだ。
この前半を読み直すなら、「小屋へ入る」「女と出会う」「女が去る」「村へ戻る」の四つで区切ってみよう。それぞれで、巳之吉が自分でできる行動は何か。戸を閉めることはできる。でも女が現れたときには声も出せない。こうして行動できる範囲を見ると、単に怖い姿が出たという説明より、場面の圧迫感を追える。
読みの根拠は、青空文庫の田部隆次訳『雪女』で確かめられる。紙の作品集を持ちたい人には、「雪おんな」を収める新潮文庫『小泉八雲集』を楽天市場で探す選択肢もあるよ。こちらは上田和夫訳なので、青空文庫と一字一句同じ文章の本として買わないでね。
お雪との暮らしが続く。短い文章の中に、長い家族の時間がある
次に現れるのは、旅をしている若い女性のお雪。
巳之吉と出会うのは、あの吹雪の翌年の冬だよ。
物語の途中を急いで読むと、雪女に会う、お雪と結婚する、正体が分かる、という三つの出来事だけで説明したくなる。けれど、その間にはちゃんと暮らしが描かれている。
お雪は両親を亡くし、江戸の親類を頼って仕事を探すつもりだと話す。巳之吉とは道を並んで歩き、お互いの結婚についても話す。そして巳之吉の家へ招かれ、母親から歓迎される。お雪は結局、江戸へ行かず、その家に嫁としてとどまる。
最初は、川を渡れず家へ戻れなかった巳之吉。
今度は、家へ戻る道でお雪と出会い、一緒に帰る。
似た「帰り道」の場面でも、進み方が違うね。ここを並べると、危険な夜の出会いと、家庭へつながる出会いの違いに目を向けられる。作者がこの対比だけを狙って書いたと断定する必要はないけれど、本文にある二つの道筋として読めるよ。
お雪は、巳之吉本人だけでなく母親にも受け入れられる。母親が亡くなるときにも、お雪への愛情と賞賛の言葉を残す。そして、お雪と巳之吉の間には十人の子どもが生まれる。
十人。
一度の出会いの勢いだけでは、ここまでの家族の時間を通れない。
小屋で出会った女の場面は、接近の動きや言葉が細かく描かれる。一方、家族として暮らした年月は、母親の死や子どもたちの誕生を通して、短い段落の中を進んでいく。文章量は短くても、その中で経過した時間まで短いわけではないんだ。
ドラマを見ていて、数年が一度に進む場面と、数分をじっくり描く場面の違いが気になったことはある? 短編でも、出来事に使われる文章の長さと、作中の時間を分けると、読む速さを少し変えられる。
これは『ばけばけ』の特定の演出を評価している話ではなく、文章を読むときの比べ方。お雪の結婚から最後の夜までを、単に「幸せに暮らした」の一文でまとめず、誰と暮らし、誰を失い、誰が増えたかを見ると、結末で残されるものの大きさが変わってくるよ。
村の人々には、お雪が年を取らないように見える。十人の母になった後も、村へ来たときと同じように若く見えるという描写がある。人間として暮らす時間が進む一方で、見た目の変化には不思議さが残る。家庭の場面だけを、最初の怪異と完全に切り離してよいわけでもない。
ただし、「村人は全員、お雪の正体を見抜いていた」とまでは本文から言えない。彼らが不思議な人だと考えることと、雪女だと確定することは違うから。感想を書くときも、その二段階を一緒にしない方が、作品の残している余白が見える。
ここまで読んで、怖い怪談のはずなのに家族の話がずいぶん入っている、と気づいたら、その感覚を持って最後へ行こう。子どもたちは単なる背景の人数ではない。その後の判断に関わってくる。
家庭の時間に注目して紙でも読んでみたい人は、新潮文庫『小泉八雲集』の収録内容を楽天市場で見ることができる。出版社の目次で「雪おんな」の収録を確認できるので、同名の別作品集や、作者の伝記と取り違えないように選んでね。
妻を見て話し始める、その瞬間。約束が家庭へ戻ってくる
結末に向かうのは、子どもたちが眠った後の夜。
お雪が行燈の光で針仕事をしていて、巳之吉がその顔を見ている。
そこで、あの夜の女を思い出すんだ。
遠い森や吹雪の小屋ではなく、妻のいる家で。
怖い目に遭った場所を再び訪れて思い出す、という流れではない。いまの妻の姿が昔の出来事を呼び起こす。このつながりを読むと、秘密が外から持ち込まれるのではなく、日常の会話の中から開いてしまうように見える。
巳之吉は妻に、若いころ見た女がお雪に似ていたと話す。お雪は話を促し、巳之吉は渡し守の小屋で起きたことを語る。田部訳の本文では、彼がにこにこしながら話す様子まで記されている。
そこ、今は微笑みながら話しているんだね……。
最初の女の前では声も出せなかった人が、妻の前では話を続けられる。
でも、読者は最初の条件を知っている。巳之吉が話しやすい空気にいることと、話してよいことは一致していない。このずれが、何かが起きる直前の落ち着かなさになる、と読めるよ。
「なぜ話したの?」への答えを、忘れっぽい性格だったからと決めつける必要はない。本文が示すのは、妻の顔が記憶を呼び起こし、その妻へ語る場面。約束を完全に忘れていた、相手を試したかった、真相を暴きたかったなどの動機は、そのまま確定できる記述ではないんだ。
むしろ、話すきっかけの位置が大事。妻に似ているという話題から始まるので、怖い事件の報告だけでなく、目の前の相手の美しさへ話がつながっている。親しい相手へ自分の過去を伝える会話と、命を守るための沈黙が、同じ夜にぶつかる。
そこでお雪が立ち上がり、自分がその女だったと明かす。
針仕事をしていた手が止まり、座っていた位置も変わる。前半で女が巳之吉の上へかがんだ動きと、最後でお雪が彼へ近づく動きを合わせて読むと、家の中でも最初の夜が戻ってくるように感じられる。
ただ、結末は最初の警告を機械的に実行するだけでは終わらない。眠っている子どもたちがいなければ殺していた、とお雪は告げる。巳之吉がこの場で殺されずに残る判断に、家族として生まれた子どもたちが関わっている。
ここ、子どもがいなかったら同じ結末ではなかった、とお雪自身の言葉から分かる。
長い家庭の時間を飛ばせない理由が、最後に出てくるんだね。
一方で、完全に許して仲直りする場面でもない。お雪は子どもたちを大事にするよう告げ、子どもたちが不平を言う理由があれば相応に扱うと警告する。最初は「誰にも話すな」という条件、最後には子どもたちを大切にするという要求が残る。命を残された巳之吉には、また別の責任が置かれる。
お雪は白い霞になって出て行き、その後は再び見られない。帰ってくる場面も、子どもたちへ別れを伝える場面も、本文には続かない。だから「最後は夫婦で穏やかに暮らした」と補ってしまうと、この短編の終わり方を変えてしまうよ。
怖い存在が去った、と読むことはできる。でも、妻であり母である人が失われた、と読むこともできる。同じ別れの場面に、その二つが重なっている。どちらか一つへ急いで片づけなくてもいいんだ。
この結末を手元で確かめたい人には、「雪おんな」収録の『小泉八雲集』を楽天市場で探す方法があるよ。田部訳を読んでから上田訳へ進む場合も、ここで挙げた文章表現がそのまま載ると決めつけず、その本の言葉で場面を受け取り直してね。
怖かった、切なかった。どちらも場面へ戻して、もう一度読んでみよう
読み終えた後、どうだった?
雪女の正体が怖かった?
それとも、子どもたちが眠る家から、お雪が消えることの方が気になった?
その感想を一つの正解へそろえなくていいよ。まず、自分が目を止めた場面を一つ選ぼう。白い女が迫る夜なら、声を出せない巳之吉へ。最後の別れなら、眠っている子どもたちと、残された巳之吉へ。どこに反応したかが分かれば、感想にも自分の読みが出てくる。
メモをするなら、「本文にあること」と「そこから考えたこと」を二行に分ける。たとえば、本文では子どもたちがいるために巳之吉が殺されずに残る。そこから、家族を持った時間がお雪の判断を変えるのかもしれない、と考える。後の一行は解釈であり、作者が説明した唯一の答えではないと分けておこう。
もう一つの読み直し方は、最初と最後だけを並べること。誰が近づき、誰が話し、誰が立ち去るかを見る。小屋では巳之吉が声を出せず、家では彼が話を始める。最初も最後も女が彼の前へ近づき、警告を残す。似た動きなのに、最後には子どもたちの存在が加わっている。
同じことの繰り返しに見えたら、変わったものを一つ探してみて。
十八歳の少年だった巳之吉は、最後には父親になっている。その違いも、結末へ持っていける読みの材料だよ。
紙でほかの八雲作品にも進むなら、新潮文庫『小泉八雲集』は小泉八雲著、上田和夫訳、ISBN9784101094014。新潮社の案内では代表作48編、496ページで、「雪おんな」のほか「むじな」「耳なし芳一のはなし」などを収録している。作者の作品集であって、『ばけばけ』の脚本集や公式ドラマガイドではない点も合わせて選ぼう。
『小泉八雲集』の紙版を楽天市場で確認する。検索結果には中古の文庫もあるので、状態、書き込み、送料、販売内容を読む。新品や電子版へ移る場合も、同じ商品形態と思い込まず、書名と訳者を見てね。青空文庫の本文だけでまず一編を楽しむこともできるので、購入を急ぐ必要はないよ。
ドラマで知った名前から、短編を一つ読む。
それだけで、作品の入り口は作れる。
『雪女』なら、怖い夜を越えた後の暮らしも、最後の子どもたちも見てみて。
「約束を破った話」の、その間にある家族の時間。
そこまで受け取ると、読み終えた後の一言が、もう少し自分の言葉になるよ。