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小泉八雲の『お貞のはなし』は、1904年に出版された『怪談(KWAIDAN)』に収められた短い話です。幽霊が人をおどかす話ではなく、亡くなった婚約者が「生まれ変わってもう一度会いに来る」と約束し、十七年後にその約束が果たされるという筋になっています。
同じ話でも、読む人によって受け取り方が分かれるのが『お貞のはなし』のおもしろいところです。
この記事では、あらすじを順番に確かめたうえで、「生まれ変わりの約束」が何を意味しているのかを考えます。あわせて、原話とされる『夜窓鬼談』の一編や、よく似た『お亀の話』とも比べてみましょう。
『お貞のはなし』はどんなあらすじ?
まずは物語の流れを、前半と後半に分けて確かめます。前半はお貞が亡くなるまで、後半はそれから十七年がたった伊香保での出来事です。
婚約者お貞が残した言葉
話の舞台は、昔の越後国新潟の町です。そこに長尾長生という人が住んでいたところから、話は始まります。長尾は医者の子で、父の仕事をつぐための教育を受けていました。小さいころに、父の友人の娘のお貞と婚約していて、長尾の修行が終わりしだい婚礼をあげることに両家とも賛成していました。
ところが、お貞は体が弱く、十五の年に不治の肺病にかかります。死ぬことがわかったとき、お貞は別れを告げるために長尾を呼びました。
床のそばに座った長尾に、お貞はこう話します。二人は子どものころから決まった相手で、今年の終わりには結婚するはずだった。けれども自分はもうすぐ死ぬ。これも神仏の思し召しだ。英語の原文では、この部分は「the gods know what is best for us」と書かれています。もし何年か生きられたとしても、ほかの人の迷惑や心配の種になるばかりで、こんな弱い体ではよい妻にはなれない。だから、あなたのために生きたいと願うことさえわがままな願いだ、と。
お貞はさらに、自分はすっかりあきらめているので、長尾も悲しまないと約束してほしいと頼みます。そのうえで、「私達は、又あえると思います」と伝えました。ここまでのお貞は、自分の死を受け入れ、残される長尾の心配をしている人として描かれているのが印象に残ります。
なお、八雲の英語の原文では、冒頭の場所が「Niigata, in the province of Echizen」です。ところが、物語の終わりでお貞は長尾を「Nagao Chōsei of Echigo」と呼んでいて、同じ話の中で越前と越後が混ざっているわけです。新潟は越後の町なので、田部隆次の訳では冒頭から「越後国新潟の町」と訳されています。原文で読むときは、この違いに気づいておくと混乱せずにすむでしょう。
お貞が長尾に話しかけるときの「長尾さま」についても、八雲は原文の注で、「-sama」は人の名前につける丁寧な言葉だと説明しています。英語の読者に向けて、日本の呼び方を一つずつ説明しているのも、八雲の『怪談』らしいところです。
『怪談』のはしがきの日付は1904年1月20日、東京です。目次では、『耳なし芳一のはなし』『おしどり』に続く3番目に『お貞のはなし』が置かれています。日本語で読むなら、田部隆次の訳が青空文庫で公開されていて、底本は1937年に第一書房から出た『小泉八雲全集』第八巻の家庭版です。
十七年後に伊香保で起きたこと
お貞が亡くなったあと、長尾は深く悲しみ、お貞の俗名を書いた位牌を作らせて仏壇に置き、毎日その前に供物をささげました。そして、お貞が死ぬ前に話した不思議な言葉について考え、もしお貞がほかの体で帰ってきたら結婚するという約束を書いて、印を押して封をし、位牌のわきに置きます。
けれども長尾は一人息子だったので、結婚しないわけにはいきませんでした。家族の願いに従って、父の選んだ妻を迎えます。その後も位牌への供物は続けましたが、お貞の姿は思い出しにくい夢のように、少しずつうすれていきました。
年月がたつうちに、長尾には不幸が重なります。両親が亡くなり、続いて妻と一人っ子も亡くなりました。ひとりになった長尾は、さびしい家を捨て、悲しみを忘れるために長い旅に出ます。
旅の途中で長尾がたどり着いたのが、温泉と美しい景色で今も名高い山の村、伊香保でした。伊香保温泉は、今の群馬県渋川市にある温泉地です。泊まった宿で給仕に出てきた若い娘の顔を見た瞬間、長尾はこれまでにないほど胸が高鳴ります。娘がお貞にあまりによく似ていたので、長尾は夢ではないかと自分の体をつねってみたほどでした。
娘が火や膳を運んだり部屋を片づけたりするたびに、その立ち居振る舞いが、若いころの婚約者の記憶を呼び起こします。話しかけると、娘はやわらかくはっきりした声で答え、その声の美しさが長尾を悲しくさせました。
長尾が「ねいさん」と呼びかけ(八雲の注によると、原文の「Elder Sister」は若い未婚の女性に使う日本の呼びかけを直訳したものです)、昔知っていた人によく似ているので、郷里と名前を教えてほしいと頼むと、娘は亡くなった人の声でこう答えます。自分の名はお貞で、あなたは許嫁の越後の長尾長生さんだ。十七年前に新潟で死んだとき、あなたは結婚の約束を書きつけにして、判を押して封をし、仏壇の位牌のわきに納めた。それで帰ってきた、と。
そう言い終えると、娘は気を失います。長尾は娘と結婚し、その結婚は幸福なものでした。けれども娘は、伊香保で自分が何を言ったのかを、その後どんなときにも思い出せませんでした。前の世のことも何も覚えておらず、出会った瞬間に燃え上がった記憶は、再び暗くなったままだったと物語は結ばれます。
生まれ変わりの約束にはどんな意味がある?
『お貞のはなし』の中心にあるのは、二人が交わした「また会う」という約束です。ここでは、お貞が口にした約束と、長尾が書いた約束の二つに分けて読んでいきます。
浄土ではなくこの世で会う約束
お貞が「又あえると思います」と言ったとき、長尾はすぐに「本当だ、又あえるとも」と答え、「あの浄土では別れると云う苦痛はないのだから」と続けました。長尾は、死んだあとに浄土で再会するという意味に受け取ったのです。八雲は原文の注で、浄土(Pure Land)を「一種の天国を指す仏教の言葉」と説明しています。
ところがお貞は、「いいえ、いいえ」と静かに打ち消します。浄土でのことではなく、明日葬られるけれども、この世で再び会うことに決まっていると信じている、と言うのです。長尾が不思議そうに見つめると、お貞はほほえみ、夢のような声で続けます。
お貞の言う「この世」とは、長尾が今生きているこの人生のことでした。そのためには、自分がもう一度子どもに生まれかわって、女として成人しなければならない。それまで待ってもらうことになる。十五年、十六年は長いけれども、あなたは今やっと十九だ、とお貞は話します。
このやりとりから、お貞の約束がとても具体的なものだったことがわかります。いつか遠い世界で会うのではなく、長尾の人生のうちに、別の体で戻ってくるという約束です。長尾がそのころ十九歳だったことを考えると、十五年から十六年後でも、長尾はまだ三十代半ばということになります。
長尾は、お貞の最期をなぐさめたい一心で、待つことは義務でもあり、うれしいことでもあると答えます。そして「私共は七生の間お互に誓ってあるのです」と言いました。七回生まれかわる間も結ばれているという、夫婦の深い約束を表す言葉です。原文では「We are pledged to each other for the time of seven existences」と書かれています。
それでもお貞は、長尾の顔を見つめて「しかしあなたは疑いますか」とたずねます。長尾は正直に、ほかの体になり、ほかの名前になったお貞を見分けられるかどうかわからない、何かしるしや証拠を教えてほしいと答えました。
お貞の答えは、「それはできません」でした。どこでどうして会うかは神仏だけが知っている。けれども、もしあなたがいやでなければ、きっと帰ってくることができる。それだけ覚えていてほしい、と言い残して、お貞は目を閉じました。しるしを何も残さなかったことが、十七年後の再会の場面につながっていきます。
長尾が書いて封をした約束
お貞の死後、長尾がしたことは二つあります。一つは、お貞の俗名を書いた位牌を作り、仏壇に置いて毎日供物をささげたことです。もう一つは、お貞がほかの体で帰ってきたら結婚するという約束を書き、印を押し、封をして、位牌のわきに置いたことです。
八雲は原文の注で、俗名(zokumyō)は生きている間に使っていた名前のことで、死後に与えられる戒名や法名とは区別されると説明しています。長尾が位牌に書いたのは、戒名ではなく、お貞が生きていたときの名前でした。
長尾が約束を書いたのは、お貞の魂を慰めたいと思ったからだと物語には書かれています。お貞が死の床で話したのは、言葉による約束だけでした。それに対して長尾は、自分から書きつけを作り、判を押して封をするという、目に見える形の約束を残したことになります。原文でも「This written promise he sealed with his seal」と、印で封をしたことがはっきり書かれています。
この書きつけが、物語の最後で大きな意味を持つのです。伊香保の宿で娘が名乗ったとき、娘は長尾の名前だけでなく、十七年前に新潟で死んだこと、長尾が結婚の約束を書きつけにしたこと、判を押して封をしたこと、仏壇の位牌のわきに納めたことまで言い当てました。
お貞は生前、長尾に「しるしか証拠」を教えることはできないと言っていました。ところが実際の再会では、長尾がひとりで仏壇に納めたはずの書きつけのことが、そのまま証拠の役目を果たしています。お貞が死んだあとの出来事なので、生きていたお貞には知りようがなかったことです。
英語の原文では、娘は「in the unforgotten voice of the dead」、つまり亡くなった人の忘れられない声で答えたと書かれています。顔や振る舞いが似ているだけでなく、声と、二人しか知らないはずの約束の中身がそろったところで、長尾にとっての「しるし」が示されたと読めます。
そして娘は、言い終えたところで気を失い、その後は自分が何を言ったのかを思い出せませんでした。約束を果たすための言葉だけが一度だけ口にされ、そのあとは普通の娘として長尾と暮らしていく。この終わり方が、怖さよりも静かな不思議さを残す理由の一つになっています。
長尾は約束を破ったの?
読者の中には、長尾がお貞の死後にほかの女性と結婚したことが気になる人もいるかもしれません。長尾は約束を破ったのかどうかを、物語の言葉から確かめてみます。
父の選んだ妻を迎えた理由
物語には、長尾が結婚した理由がはっきり書かれています。長尾は一人息子だったので、結婚することが必要でした。そして、家族の願いに余儀なく従って、父の選んだ妻を迎えなければならなくなったのです。英語の原文でも、「obliged to yield to the wishes of his family」と、家族の願いに従わざるをえなかったことが強調されています。
ここで確かめておきたいのは、お貞が死の床で何を頼んだのかです。お貞が長尾に約束してほしいと言ったのは、「悲しまない事」でした。原文では「I want you to promise that you will not grieve」です。ほかの人と結婚しないでほしいとは、一言も言っていません。また、生まれかわって戻ってくる話をしたときも、「もしあなたがおいやでなければ」と、長尾の気持ちを条件にしていました。原文では「if you be not unwilling to receive me」と、受け入れてもらえるならという言い方になっています。
一方、長尾が書いた約束は、お貞がほかの体で帰ってきたら結婚するというものでした。帰ってくるまでほかの人と結婚しない、という約束ではありません。物語の言葉をそのまま読むと、長尾が父の選んだ妻を迎えたことは、お貞との約束の中身とぶつかってはいないことになります。
それでも、長尾がお貞のことを忘れたわけではありませんでした。結婚してからも、長尾はお貞の位牌の前に供物をささげ続け、いつも情け深くお貞を覚えていたと書かれています。新しい家族を持ちながら、亡くなった婚約者の供養も続けていたのです。
Xでは、この話について「執念……いい話なのかもだけど」という感想も投稿されていました(Xの投稿)。十七年たっても戻ってくるお貞の思いを、強すぎる執着として受け取る読み方です。たしかに、亡くなった人がもう一度この世に戻ってくるという筋は、怪談の一つとして読むこともできます。
ただ、お貞は長尾の人生をしばるような頼みはしていません。長尾の結婚にも、物語の中でお貞が何か不満を言う場面はありません。お貞は、長尾が「いやでなければ」帰ってくると言い、実際に帰ってきたのは、長尾がひとりになったあとでした。
記憶がうすれても続けた供養
長尾の結婚生活について、物語はくわしく書いていません。書かれているのは、お貞の姿が長尾の記憶から少しずつうすくなっていったこと、そして年月がたったことだけです。原文では、ここを「And the years went by.」という短い一文で済ませています。田部隆次の訳では、その様子を「思い出し難い夢のように」と表しています。
八雲の原文では、この部分は「like a dream that is hard to recall」です。お貞のことを忘れたのではなく、はっきりとは思い浮かべられなくなっていった、という書き方です。そのあいだも、長尾は位牌に供物をささげることをやめていません。記憶がうすれても、毎日の供養という形で、お貞とのつながりは続いていました。
その年月の間に、長尾には多くの不幸が起こります。両親が亡くなり、それから妻と一人っ子が亡くなりました。長尾はこの世にただ一人となり、さびしい家を捨てて、悲しみを忘れるための長い旅に出ます。
ここで注目したいのは、お貞が戻ってきた時期です。長尾が伊香保でお貞に再会したのは、家族をすべて失い、ひとりで旅に出たあとでした。お貞の言葉どおりなら、お貞は十五年か十六年で戻るはずでしたが、実際の再会は十七年後です。物語は、なぜその時期だったのかを説明していません。
説明がないぶん、読み方は読者にゆだねられています。長尾に家族がいる間は会いに来なかった、と受け取る人もいれば、ただ偶然その時期に伊香保で出会っただけだと考える人もいるでしょう。ただ、なお、物語の中では、長尾の最初の妻について名前も人柄も書かれていません。お貞が死んだとき長尾は十九歳だったので、十七年後の再会のころは、単純に足すと三十六歳前後になる計算です。
物語の言葉からはっきり言えるのは、長尾が十七年の間、お貞の位牌への供物を絶やさなかったということです。
二人が結婚したあと、娘は伊香保で自分が言ったことも、前の世のことも何も覚えていませんでした。長尾にとっては、お貞との約束が果たされた一方で、そのことを話し合える相手はいないことになります。Xでは、この話について「怪談という言葉だけでは括れない、不思議な余韻が残りました」という読書の感想も投稿されていました(Xの投稿)。
原話や似た話とはどう違う?
『お貞のはなし』には、もとになった日本の話があるとされています。また、八雲が別の本で書いた『お亀の話』も、亡くなった妻と夫の約束をめぐる話です。最後に、この二つと比べてみます。
原話は夜窓鬼談の「怨魂借体」
八雲は『怪談』のはしがきで、この本の話の多くは古い日本の本からとったものだと書き、その例として『夜窓鬼談』『仏教百科全書』『古今著聞集』『玉すだれ』『百物語』を挙げています。このうちの『夜窓鬼談』が、『お貞のはなし』のもとになったとされる本です。
『夜窓鬼談』は、石川鴻斎がまとめた漢文体の怪談・奇談集です。西尾市岩瀬文庫の書誌データベースによると、明治22年(1889年)に東京の東陽堂で印刷・出版されました。同じデータベースでは、石川鴻斎は三河吉田の人で、大正7年に86歳で亡くなったこと、自序に、若いころ各地を旅して珍しい話や怪談を聞くたびに書きためたと記していることも紹介されています。目録には「怨魂借体」という題の一編があり、富山大学のリポジトリでは、上巻の「怨魂借体」が「お貞のはなし」の原典だと紹介されています。
富山大学附属図書館のヘルン文庫には、八雲が持っていた『夜窓鬼談』の上巻と下巻が残っていて、配架番号は2307と2308です。リポジトリでは、この本は明治27年(1894年)刊とされ、上巻の「祈得金」が『鏡と鐘と』の、「牡丹灯」が『宿世の恋』の原典だとも書かれていました。ヘルン文庫の和漢書は、セツ夫人の説明を通して八雲の創作の資料になったものだと、図書館のページで説明されています。
原話の主人公は「長尾杏生」と書かれ、八雲の話の「長尾長生」とは一字違いです。妖怪の資料をまとめたサイトの目録では、「怨魂借体」の内容が「長尾杏生とお貞(芸者・故人)とお貞(旅宿の下女)」と紹介されています。原話のお貞は芸者で、八雲の話のような幼いころからの婚約者ではありません。
題名の「怨魂」は恨みをもった魂、「借体」は体を借りるという意味の字です。恨みをもって死んだ女性の魂が、別の女性の体を借りて現れるという題名からは、八雲の『お貞のはなし』とはかなり違う雰囲気が感じられます。
八雲の話では、お貞は死の床で長尾の幸せを気づかい、悲しまないでほしいと頼む人として描かれています。お貞が戻ってくるのも、恨みからではなく、二人で交わした約束を果たすためです。原話と同じ「長尾」と「お貞」という名前を使いながら、婚約者どうしの約束の話として組み立て直しているところに、八雲の再話の特徴が表れています。
『お亀の話』と比べて読む
八雲は1902年の『骨董(Kotto)』に、『お亀の話(The Story of O-Kamé)』という話を収めています。舞台は土佐で、名越の裕福な権右衛門の娘お亀と、その夫の八右衛門の話です。お亀は二十二歳、八右衛門は二十五歳で、お亀は夫をとても愛していました。
お亀は結婚して二年もたたないうちに病気にかかり、死を覚悟します。そして夫に、自分が死んだあと、もう一度妻をもらわないと約束してほしいと頼みました。八右衛門がすぐに約束すると、お亀は「ああ、うれしや」と叫んで息を引き取ります。
ところがその後、八右衛門は日に日にやせおとろえていきます。母に問いつめられた八右衛門は、葬式の日から毎晩お亀が戻ってきて、そばに横になり、寺の鐘が鳴ると帰っていくと打ち明けました。母から話を聞いた寺の老僧は、親族を集めてお亀の墓を開けます。棺の中のお亀は、ほほえみを浮かべ、体はあたたかく、生きていたときのようでした。八雲は注で、日本では死者を四角に近い棺に座った姿で納めると説明しています。
老僧はお亀の体に梵字を書き、施餓鬼の供養をしてから、遺体を墓に戻します。それ以来、お亀が夫のもとへ来ることはなくなり、八右衛門は健康を取り戻しました。ただし、八右衛門がその後もずっと約束を守ったのかどうかは、日本の語り手は言っていない、と八雲は結んでいます。
二つの話は、病気で死ぬ女性が死の床で約束を求めるところがよく似ています。富山大学のヘルン文庫で2018年に開かれた「へるんトーク」第5回も、「夫婦の契りの物語:約束を守るか守らないか」というテーマで『おしどり』と『お貞の話』を読み、資料の中で『お亀の話』にもふれていました。Xでも、小泉八雲の朗読音源とあわせて公開されたコラムの紹介として、『おかめのはなし』は『お貞のはなし』と「とてもよく似ている」とする投稿がありました(Xの投稿)。
違いは、約束の中身です。お亀は「再婚しないこと」を求め、その約束を守った夫は、毎晩戻ってくるお亀のせいで命を落としかけます。一方のお貞は「悲しまないこと」を求め、再婚を禁じませんでした。そして、ひとりになった長尾のもとに、生きた娘として戻ってきます。二つを並べて読むと、同じ「死者との約束」でも、結末がまったく違うことがよくわかります。
まとめ:『お貞のはなし』の生まれ変わりの約束を読む5つのポイント
小泉八雲の『お貞のはなし』のあらすじと、生まれ変わりの約束の意味を見てきました。ポイントを振り返ります。
- お貞は十五の年に肺病にかかり、浄土ではなく「この世」で長尾にまた会うと言い残して亡くなった
- 長尾は位牌に供物をささげ続け、お貞が帰ってきたら結婚するという約束を書いて封をし、位牌のわきに納めた
- 十七年後、伊香保の宿の娘がその書きつけのことまで言い当て、二人は結婚したが、娘はそのときの言葉を覚えていなかった
- お貞が求めたのは「悲しまない事」で、父の選んだ妻を迎えた長尾の結婚は約束の中身とぶつかっていない
- 原話は『夜窓鬼談』の「怨魂借体」とされ、再婚しない約束を求める『お亀の話』と比べると、八雲の話の特徴が見えてくる